小堀馨子のブログ

古代ローマ宗教研究者でロンドン大学にて博士論文執筆中の小堀馨子のブログです。
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日記(6.6.06) 「ダ・ヴィンチ・コード」読後感
おてんき

最近、邦訳で「ダ・ヴィンチ・コード」を読了した。以前、作者ダン・ブラウンが、英国の二人の学者に盗作疑惑で訴訟を起こされた時に、その報に接して、このブログに記事を書いた。

http://keiko69.jugem.jp/?eid=17

研究者としての自分にとってはそれで十分だった。

しかし、一信仰者としての自分は、今回読了後にやはりある危惧を覚えた。それでその危惧を読者の方に分かち合いたいという心を覚え、信仰者としてのブログの方に一つ記事を書いた。

http://gracekeiko.jugem.jp/?eid=125


上記の記事を書き終わってみて、改めて研究者としての自分の立場でものを考えてみた。するとやはり結論は、以前にこのブログで書いたことと同じである。

「トンデモ本は、トンデモ本だと理解された上で、楽しんで消費されればよい。トンデモ本が、トンデモ本としてではなく、どの立場の人であれ、真実だと思い込まれて消費される時にのみ、それは危険である」と。

そういう意味で、本書は「小説=フィクション」という前提で提示されている分だけ、「研究書=学問的に真実に近づこうと探求している書」という体裁を取りつつ、トンデモ説を垂れ流す諸書よりは性質が悪くなかったかもしれない。


ローマ史家の間では、塩野七生「ローマ人の物語」も、悪評が絶えない。彼女は史料を大層よく調べて書いている。しかし、「塩野史観」が色濃く存在し、たとえ史料に基づいていようとも、その史料の解釈という点で、ある特定の立場以上を表明し得ないのは否定しようもない。それは時に既存の学問的解釈とぶつかる。そして彼女が自分の著作を「歴史小説」ではなく「史書」の位置まで高めて提示しようとしている姿勢が、ちらりと垣間見える時には、自分も彼女の姿勢に対して一抹の危惧を抱かないわけではない。

しかし、正直言って自分は、彼女の著作に猛然と反駁するような一部の厳格なローマ史家たちとは見解を同じうしていない。勿論、個人的には彼女の異常なカエサル贔屓には反感があるが、自分がカエサル研究者ではないせいか、自分はその違いはお互いの嗜好というレベルの問題であって、大事ではないと思っている。全体としては、私は彼女の著作を歓迎している。彼女の著作を通して少しでも古代ローマ世界の魅力を知ってくれる人が増えてくれればよいと思うのである。彼女の著作が引き金になって、古代ローマへの探究心が芽生え、さらに翻訳でよいから古典著作を読みたい、あるいは原史料に何となくあたってみたい、という人が出てきてくれれば、ローマ宗教史研究者としては実に嬉しい限りである。


こうしてみると、自分が塩野氏の著作の時より、「ダ・ヴィンチ・コード」に対して一層大きな危惧感を覚えているのは、それがキリスト教という現在も生きて活動して世界に大きな影響力を及ぼしている潮流と密接に、あるいは付言すれば「敵対的に密接に」関わっている事物であるからだろう。古代ローマに関しては、古代ローマの宗教、もしくは古代ローマ的価値観を、自分の命を掛けて信じるような者は、皆無とは言わないまでもほぼいないに等しい。古代ローマは楽しむ対象ではあっても、命を掛けて信じるような対象ではない。勿論、一信徒としては「ダ・ヴィンチ・コード」の社会的影響力に危惧を覚える。しかし、一研究者として、学問的観点からこの事態を眺める限り、「トンデモ本の扱いには気をつけましょうね」以上の感慨はわかないというのが正直なところであるし、それ以上には書くべきこともない気がする。



なお、「ダ・ヴィンチ・コード」の史実と虚構の見分けについては、下記のような書籍が類書も含めて既に多く出版されているので、興味のある方はそれを参照して頂きたい。

ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド
「ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド」
  マーティン・ラン, 秋宗 れい

ダ・ヴィンチ・コードの「真実」―本格的解読書決定版
ダ・ヴィンチ・コードの「真実」―本格的解読書決定版
  ダン バースタイン, Dan Burstein, 沖田 樹梨亜

ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く―世界的ベストセラーの知的冒険ガイド
ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く―世界的ベストセラーの知的冒険ガイド
  サイモン コックス, Simon Cox, 東本 貢司

また、ウェブサイトとしては、Yahooの用語集(http://store.yahoo.co.jp/tousen/a5c0a1a6a51.html)を出版された叡智の禁書図書館さんのサイトが、多種多様な情報が盛り込まれているとはいえ、よい参考になろう。

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| 書評・劇評 | 07:56 | comments(14) | trackbacks(3)



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コメント
はじめまして。
もっぱら小説としてキリスト教や
ローマに興味を持っていて
まさにトンデモ本や、塩野七生氏に
感服しているクチです。

いまも実はダヴィンチコードをネタに
トラックバックをあちこちに張ってみて
関係図書の情報を集めようかと考えていて
貴ブログにいたった次第。

そうか・・・史家からは悪評や
猛然と反発、なんてこともあるのですね。

いま正に「背教者ユリアヌス」を読み終えた
所で、これも塩野女史お勧めであった為
ますます、塩野色が強まります。

信仰を持たない私ですが
うーんいろいろ聞いてみたい気がします。

コメントでは失礼ですね。
| いちろ | 2006/06/07 9:16 PM |
こんばんはTB有り難うございます。叡智の禁書図書館、御紹介有り難うございます。

ダ・ヴィンチ・コードはあくまでもフィクションとして、楽しむ分には面白いですし、元ネタまで遡ればそれなりに興味深いことも多いですが、TVでやっていたからと安易に信じるのはちょっと・・・という感じがしています。

もっとも余りに懐疑的になってもいけないのかもしれませんが、常に冷ややかで冷めた知性も合わせ持たないといけない時代なのかな?な〜んて時々思ったりしております。
| alice-room | 2006/06/07 10:37 PM |
始めまして、ここ1ヶ月ほどロムだけさせていただいていました。私も留学中なのでこれがどこまで本当か分からないのですが、日本では一部、『ダ・ヴィンチ・コード』を「トンデモ」とは捉えていない模様の「トンデモ」な人たちがいるようで、テレビではかなり怪しい情報を流したりしています(昨年の春頃にその手の番組をチラリと見ました)。「反・キリスト教=反・西洋」という構図が垣間見えて、「西洋コンプレックス」の日本人には気持ちいいのかもしれませんね。
塩野七生に関しては、私のゼミの先生が、「卒論の参考文献が塩野七生だらけの学生がいて困った」というようなことを言っていたことがあります。そこまで影響されてしまう学生もいるみたいですね。私個人としては(私は西洋中世史を研究しているのですが)、何巻目だかで、彼女が「私は歴史学者ではないので、作家としての想像力を駆使して書いている」と、歴史学者を貶める発言を書いていて、それ以来大嫌いになってしまいました。この人もある程度「トンデモ」として読むしかないんですけどねぇ。
長々失礼しました。
| きむこ | 2006/06/07 11:44 PM |
こんばんは。そちらは夕方ぐらいでしょうか。

拙ブログに、こちらのリンクをはらせていただきました。ご挨拶かたがた。

ところで、、、映画『ダヴィンチ・コード』 観ました。駄作だと思いました。小説はまだ読んでませんが、まぁ 小堀さんの感想と同じことになるだろう、、、と思っております。
| コンドウ | 2006/06/08 2:05 AM |
コメントを下さった皆様、お返事が遅れて申し訳ございませんでした。

>いちろさん
ロマンとトンデモ本の境界、歴史学と歴史書の境界はなかなか判定が難しく、私も色々と思うところはありながら、十分には言えません。

でも、それが「トンデモ」と心得た上で、またそれを「トンデモ」と受け取れずに真剣に対応する人もいる、ということを心得た上で、楽しんで頂くというのはよいのでは、とも思ってしまいます。

またいつでもどうぞ、お遊びにいらしてください。

>alice-roomさん
こちらこそ、勝手にトラックバックさせて頂いてしまった上に、コメントまで頂戴して、感謝しております。

海外に住んでいると、つい見落としてしまう細かい日本の反応のニュースなども細かく網羅していらしたので、考察の上で大層参考になりました。ありがとうございます。

>キムコさん
私も“「反・キリスト教=反・西洋」という構図”で、日本人があれだけ飛びつくのかな? という気もしないではなかったのですが、キムコさんもそう感じていらっしゃるのですね。

塩野氏の「ローマ人の物語」は、一応研究者として入手はしているものの、読んだのはネロのところまでなので、そのような発言があったのは記憶にありませんでした。確かに実証史学の歴史学者が実証を追求する余り、「読者にとって面白みのあるもの」をなかなか提供できないのは事実ですが、だからと言って、それを鬼の首でもとったように言われても困りますよね。それは小説家と歴史学者のお互いの目指すところが違うということでしかない、と私は冷ややかに思ってしまいます。

>コンドウさん
リンクありがとうございました。
映画は、周りで既に観た人に聞いても、小説にもまして、評判が悪いようですね。

ただ、カンヌ映画祭で不評だったのは、審査員の背景と、フランスというカトリック国であることを考えると、これもまたある程度の政治背景がありそうな気がして、「カンヌで不評」という事実自体も、額面どおりに受け取ってよいか悩んでしまいますが・・・(苦笑)
| 馨子 | 2006/06/10 7:23 PM |
TB はらせていただきました。最初、うまくいかなかったみたいで、二度 TB送信をしてしまいました。
もし二重になってしまったら、削除希望です。 すいません、面倒かけまして。

閑話休題、、、

カンヌ映画祭での不評の件、、、 カトリックという背景もございましょうが、もぉ単純に、駄作だ!!ということに尽きるように思いました。
| コンドウ | 2006/06/15 1:15 AM |
コンドウさん
TB大丈夫でした。
最近TBスパムが多いので、承認後に公開するようにしておりますため、一度でうまく表示されず御不安を与えてしまったかもしれません。済みませんでした。

そうですか。
まだ観ておりませんが、「映画として」駄作なのですね・・・。
| 馨子 | 2006/06/15 2:39 AM |
遅ればせながら読んでみました。
この本は最近のトンデモ本を種本にして書かれただけで、
原資料(例へば『黄金伝説』)にもあたつてゐなくて
執筆の態度が丸で違ふのですから、
比較されては塩野七生が可愛さうです。
| あがるま | 2006/07/22 6:06 PM |
確かに、原史料に当たっているかいないか、という点では、彼我には天地の差があると思われますので、その点ではおっしゃるとおりかもしれません。

ただ、塩野氏が「歴史小説」の分を超えて、(極言すれば)周りの歴史研究者の研究には見るべき物がなく、自分だけがローマの歴史を世にきちんと語っている者である、という見解を陰に陽に表明されるのを見るとき、そして、それが地道な学問研究よりはずっと人口に膾炙する割合が高いとき、塩野氏の言説が、彼女のカリスマ性ゆえに、唯一の正しいものとして受容されてしまう事態に危惧を覚えるだけです。

そのような観点からこの事態を見た場合には、私にとっては、ダヴィンチコードの作者は原史料に全然当たっていないが、塩野七生はきちんと当たっているという彼我の差も、小さな差異に見えてしまうのです。

そのような趣旨での発言でしたが、もしも誤解を生んだのであれば、私の表現の拙さをお詫び申し上げます。
| 馨子 | 2006/07/27 5:13 PM |
実は塩野七生の『ローマ人の物語』を読んだことはないのです。しかしヴェネチアの歴史の本から推察すると彼女がデタラメな放言をするとは考へられません。

揣摩するところ、西欧の歴史(教育)は、彼らがギリシア・ローマと云ふ古典世界の唯一正統な後継者であると云ふイデオロギー教育なので、それに反発してゐるのではないのでせうか。それは英国やイタリアに住んでゐれば、ひしひしと感ずるのはずですが。その典型が『古典考古学』や古典語の教育システムでせう。

Watermanさんのコメントにもありましたが、客観的な歴史叙述などは有り得ないし、ローマの宗教の聖典(そんなものがあつたしたなら)はキリスト教徒が焚書にしてしまつたのでせうから。

論文はreligioと云ふ言葉のキケロとアウグスティヌスでの違ひがテーマなのでせうか。日本の比較思想の創設者の一人である、川田熊太郎が『仏教と哲学』で触れてゐたのを覚えてゐます − でもこれは半世紀前の本ですね。


| あがるま | 2006/07/28 6:14 AM |
塩野さんの本に関しては、私もある程度の評価はしていますが、専門家の目からみるとアラが見えてしまうというのは仕方ないと思います。あがるまさんがヴェネチア史のご専門でいらっしゃってそういう発言をなさっているのかは存じ上げませんが、歴史家の直感としては、あがるまさんが評価していらっしゃるヴェネチアの歴史の本も、ヴェネチア史の専門家が見たら、あがるまさんと同じ評価を下すかどうかはわからないという気がします。

ローマ宗教の聖典というものは、キリスト教徒が焚書にしなくてもなかったと思います。というのは、ローマ宗教は文書化された「聖典」というのはなかった宗教なので。ただ、祭儀の記録や、どのような天変地異が予兆としてあったか、という記録はつけて保存していた民族だったようです。しかし、キリスト教徒でない、蛮族の襲来や災難などで、それらは消失して現在は残っていないのです。これは、歴史家としては残念ですが、その事態を受け入れるしかありません。

論文の中の一つの章でキケロの religio を扱う予定です。
アウグスティヌス(というかラテン系キリスト教教父たち)に至るまでの religio 概念の変遷については既にフランス語の秀逸な論文があります。私の専門は共和政末期ですので、帝政後期まで今回の博論で扱うことはしない方がよいと指導教授にも言われておりますし、そこまでしたら、それだけで一つの博論になってしまいかねませんから、そこまでする予定はございません。
| 小堀馨子 | 2006/07/29 9:17 AM |
日本人が西欧のことについて研究する意味について質問したつもりなのですが。どうやら同じキリスト教徒であると云ふことで共通点を見出されて居られるやうですね − キリスト教も日本と西欧の違ひは大き過ぎると思ふのですが。
(新井奥邃は、日本の基督教はゆるい、と云つたさうですが。)

ドイツに旅行した時、日本で大学の先生をされ、専門の著書や論文も出版されて居る方と学生食堂で偶然にお逢ひしました。
大学の職を捨て、これからMA論文(ドイツでは卒業論文にあたるさうです)を書いて更に博士論文を書く予定と仰つてゐたので、今まで日本で研究されたことを欧文にするのは簡単だらうと云ふと、とんでもない!日本での仕事は自分ではないものと思つてゐる、と云ふことでした。
それが成功しても、更に留まつて第一線の仕事をし続けなくてはならないと云ふ決心だと聴きました。

単に能力の問題などではなく、博士論文を書いたら日本に帰つて、などと思つて居ては駄目なのでせう。

| あがるま | 2006/08/02 2:01 AM |
★あがるまさん

> 日本人が西欧のことについて研究する意味について質問したつもりなのですが。どうやら同じキリスト教徒であると云ふことで共通点を見出されて居られるやうですね。

いいえ、そのご推測は違います。

日本人が西欧のことについて研究する意味を、西欧ではない古代世界を研究している私に問われたとは思いませんでした。西欧は古代世界からある程度の知的遺産を引き継いではおりますが、古典古代研究=西欧研究ではない、と西欧人ではない私は思っておりますので。古典古代研究=古代地中海世界の研究だと私は考えておりますので、その質問は他の「日本人で(本当の)西欧研究」をなさっている方になさってください。

また古代地中海でも、私は特にキリスト教が出現する前の世界の研究をしているので、自分を「キリスト教という研究対象の時代にはまだ生じていなかった宗教を信仰している非西欧人」という風に定義できると思いますが、それとても、研究者としての私には余り重要ではありません。


> キリスト教も日本と西欧の違ひは大き過ぎると思ふのですが。

まあ、私もあがるまさんと全く同様に思っておりますんですよ。日本と東アジア、南アジア、アフリカ、中東(レバノン、シリアなどのキリスト教)、西欧のキリスト教はそれぞれ、お互いに大いに違うと感じます。

ただ、ちょっと気になったのはあがるまさんの視野の中に、西欧 v.s. 日本という構造しか入っていないのでは、ということです。たまたま、日本のキリスト教と西欧のキリスト教という形で例に出されただけなのならよいのですが。

西欧というのは、ヨーロッパ地方の西半分の地域を指す、それだけではないかと私は思っています。日本人が他にも見て学ぶべき地域は、アジア、地中海世界、アフリカ、中南アメリカなど、地球上にたくさんあると思いますので。


また、あがるまさんがドイツでお会いになった先生が、理系の分野なのか、あるいはドイツ文学などのご専門なのか、お話からは判断しかねましたが、そういう体験をしてそういう決断をなさる方はいらっしゃると思います。それはそれで素晴らしいことだと思うし、もしあがるまさんがそれに感動して、自分もそのような研究者になろうと思って努力した結果、そのような体験をなさるなら、それもまた素晴らしいことだと思います。

しかし、その体験をしなければ研究者としては一流ではなく、駄目だとおっしゃるのは間違っていると思います。つまり、たまたま日本で自分の分野をやっている人がいないから、こちらに住居と在籍大学だけ移して博論を(日本にいるのと同じ感覚で)書き上げ、また住居を日本に移すだけの方で、立派な研究者である方は一杯いらっしゃいますし、さらには運よく良い師にめぐりあって、海外に行かずとも日本で素晴らしい博論を書き上げ、日本で素晴らしい学者として大成なさっている方もいらっしゃいます。

人それぞれですし、あがるまさんがなさりたいようになさればよいのですが、人それぞれであるということはご理解頂き、安易に多くの方を批判し、潜在的に敵にまわすようなことは慎まれた方がよろしいかと存じます。
 
| 小堀馨子 | 2006/08/02 2:44 AM |
<西欧は古代世界からある程度の知的遺産を引き継いではおりますが>
「ある程度」とは大分割引されたものですね。
自分や対象を相対化しても、真理に近づくことは出来ません。

西欧が南欧の古代文化を(簒奪し)自分のものにしたのが、学問の成立で、2000年かけて熟成され一体化されたのですから、
果たしてキリスト教的西欧以外が地中海地方の古代文化から何を引き出せるかと云ふ問題です。
それを古典として評価し解釈により伝統を保存して来たのも西欧なのですから。
金髪の野獣だけがそれを可能にしたのです。

アレクサンダー大王がキリストの先駆だとされる訳です。
その理論が批判されても、直接には言及されない共通の前提は常に残つてゐて、常識や伝統と云ふ先入観(との対決)なしには学問の根も絶たれます。

| あがるま | 2006/08/02 4:52 PM |
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